|

 
 
私は今回の建築士の日記念事業「わが街 再発見」にあたり、シビックゾーン周囲の歴史資料等を図書館で調べてみた。
当初は大正14年(1925年)に片倉製紙工場進出以来の時代経過に興味を持っていたが調べていくうちに50年前江津市となって以来長らくキャッチフレーズとして使われた 「川といで湯と緑の工都」の一翼をになったと思われる「五左衛門の松」に出会った。
私が高校生の頃、通学路両側の黒松と空の青さ・校舎裏側より海岸線に至までの間の松と白砂のコントラストが見事であった。当時は、松は自然にはえるものだと思い、あたり前の景色として見ていた。
享保の大飢餓に飢え苦しむ人々を救済するために永年貯蔵した米穀を開放し、更に匡済事業を計画、耕地造成と防風林に着手された方が沖田屋7代目横田五左衛門さんであるという。
元文年間(1736年〜1741年)の頃、砂漠の如し沖浜に防風植林と広大な畑地の開墾にかかり盟和2年(1765年)五左衛門亡き後8代啓三郎が意志をつぎ、明和年間(1764年〜1772年)に完成したとあった。
  
当時整備された環境が地域の風土をはぐくみ、約150年後、先記の片倉製紙工場進出につながってきたのである。改めてまちづくりに目標や計画がいかに必要か考えさせられる。
現在多くの松が松枯れにおいて失われているが、日本製紙ケミカル正門周辺に名残がある。又、日本製紙敷地内に稲荷神社があり、新田開発工事完成を記念して造営したもの言われている。
現在の社殿は昭和6年4月15日に再建されたものである。 現在整備されつつあるシビックゾーン内に松が見えないように思うが、先人の思いを残したいものだと思う。江津市の木「黒松」 負けるなと応援すると共に地域の歴史認識を得て勇気をいただいた記念事業であった。
本田 博
|